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稀勢の里の横綱昇進はなぜ早い?条件がおかしいのか?甘いのか?

投稿日:2017年2月11日 更新日:

第72代横綱が誕生した!第66代横綱若之花以来19年ぶりの日本人横綱の誕生である。新横綱の名は「稀勢の里」。今では日本中で多くの人が知っている名前だ。話題沸騰で、注目の理由は昇進の速さも大きい。2017年の初場所において、初優勝を果たし、初土俵わずか15年で異例の早さで横綱昇進を果たした。

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日本人横綱、長期不在!

稀勢の里の横綱昇進は早いと言われているが本当に早いのか?その早い昇進と理由に触れてみたいと思う。マスコミやネットでは、条件がおかしいのではないか、昇進の基準が甘いのではないのかとの声がある。

 

そう騒がれる理由の一つに、日本人力士が最後の横綱に昇進したのが、若貴の兄弟横綱以降いないと言う事が背景にあるとされる。これは、相撲が日本の国技であるにも関わらず、19年間横綱の座を外国人力士に奪われていた事になる。また、平成15年には、日本人横綱は、貴乃花(現貴乃花親方)が1月場所中に引退した事により、翌場所以降稀勢の里の横綱昇進まで日本人横綱が不在であった。

輝かしい受賞暦!

そんな中、稀勢の里の横綱昇進が話題となる。大関昇進からわずか五年で横綱昇進を果たした、稀勢の里自身、5回の殊勲賞、敢闘賞を3回、技術賞1回と受賞している。綱取りもトータル7回挑戦している。それにも拘らず稀勢の里がこれまで横綱の座に上り詰められなかったのかというと、稀勢の里自身の詰めが甘いとされる相撲が問題である。稀勢の里は、入門当時より、数々の記録を達成している。

しかし、いざという時に自身の本来の力を出し切れずにいる。これは、プレッシャーに弱い面も大いに関係している。綱取りを期待されながらも、苦手意識を持つ力士との一番ではそのプレッシャーと苦手意識故に負けてしまう。

 

一方、綱とりも何も騒がれていない場所では、比較的自身の力をふんだんに発揮し、順調に勝ち越しを決めている。この事と稀勢の里の横綱昇進がなぜ関係あるのか言うと、今回の昇進が劇の裏には、これまでもプレッシャーや苦手意識をはね返した努力であり、また、偶然にも苦手意識を持つ力士の休場や不調も大いに関連しているものと思われる。

そうは言うものの条件がおかしいとか、甘いという議論で語れるような問題ではない。少なからず稀勢の里の実力の賜物であると考える。

恵まれた身体!

稀勢の里のプロフィールと経歴ついて触れながら、もう少し詳しくその強さにせまりたい。稀勢の里は、本名、萩原寛(はぎわら ゆたか)。1986年7月3日生まれの30歳である。生まれは、兵庫県芦屋市。2歳の時、茨城県龍ヶ崎市に、中学2年で、同県牛久市へ転入。龍ヶ崎市立松葉小学校、龍ヶ崎市立長山中学校をそれぞれ卒業。身長は188cm、体重175kg。初土俵、平成14年3月春場所。この時、身長184cm、132kg。

所属部屋は、入門当初、鳴戸部屋であったが、現在は、田子ノ浦部屋である。得意技、左四つ、寄り、突き、押し、左おっつけ。幼少期を茨城県の龍ヶ崎市で過ごし、相撲に大変興味があり、小学2年生頃から、よくテレビで観戦していたという。

野球少年だった! 常総学院にスカウト!

小学4年生から、少年野球をはじめ、小学生時代に捕手を、中学生時代には、投手を務めた。その実力を買われ、中学3年の時、強豪校である常総学院から声を掛けられるも、「自分はでかいだけ。野球はうまくない」との理由で断る。

現在、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス投手、美馬 学投手とも対戦した過去がある。相撲界への入門時、入門に対し、難色を示していた両親や中学校の教師を、鳴戸親方自らが熱心に説得したことで実現したという。

相撲の世界へ! 17歳で幕下優勝!

初土俵から十両、幕内、大関、横綱までの道のり平成16年、一月場所において、17歳6ヶ月で、幕下優勝を果たす。これは、貴花田(後の横綱、貴乃花、現、貴乃花親方)、富樫(後の横綱柏戸)に次ぐ歴代3位の若年記録となる。同年5月場所では、十両昇進。この時17歳9カ月

この記録は、これは、貴花田(後の横綱、貴乃花、現、貴乃花親方)に次ぐ、年少記録二番目の記録である。しかし、十両において終盤戦において失速し、二桁勝利が出来ず、同時に十両昇進をした琴欧州、豊ノ島が十両を2場所で通過したのに対し、稀勢の里は、3場所で通過する。とは言え、わずか、初土俵から3場所での通過であった。

稀勢の里=稀な勢いで駆け上がる!

同年11月場所で、18歳3カ月の時、史上二番目の早さで新入幕。入幕と同時に、四股名をこれまでの「萩原」から、現在の「稀勢の里」に改名する。稀勢の里と言う名は、故鳴戸親方が「稀な勢いで駆け上がる」と言う意味を込め、本人に提案し、それを稀勢の里本人が納得し、つけたと言うエピソードがある。

 

では、その実力をどうやって培ってきたのか、過去の戦歴に触れながら話してみたい。新入幕から一年間は、苦戦が続き十両時代によく見られた土俵際で粘られ、偶然足が出たことで勝つ相撲や体格に任せ無理矢理倒す相撲、相手の叩きにつけ込んだ相撲も多く、詰めの甘さを元小結力士、舞の海に、「前に出て土俵際で止まることも勉強するべき」とも取れる苦言を呈された事もある。

敢闘賞!

この間、最高成績9勝6敗と、勝ち越し、負け越しを繰り返す。平成17年、九月場所において12勝3敗の好成績を残し、最後まで優勝争いに加わり、この場所で、優勝争いの先頭であった琴欧洲に対し、土をつけた事で自身初の三賞である敢闘賞を手にする。ここでも稀勢の里は、年少記録を達成する。

19歳2カ月での三賞は、貴乃花、白鵬に続いて史上3位の記録だ。自身初の三賞を手にした翌場所である11月場所では、自己最高位である前頭5枚目として活躍するも、結果は、5勝10敗と大きく負け越した形となった。

平成18年の三月場所、前頭7枚目では、平成17年九月場所以来三場所振りに、10勝5敗という二桁勝利。翌場所の5月場所では、更に自己最高位の前頭筆頭で千秋楽において8勝7敗と勝ち越し、七月場所にて三役の一つ、小結昇進を果たす。この時、稀勢の里は19歳11カ月であった。この年齢での三役昇進もまた、史上4位の年少記録。

朝青龍から白星! 殊勲賞!

この場所は、稀勢の里にとって中日までは番付が上の力士との取組で、2勝6敗という成績であったが、9日目以降、2大関であった、琴欧洲、魁皇を破るなどし、最終日までに、6連勝を果たし、8勝7敗という記録で、新三役として勝ち越しを決めた。新三役の勝ち越しを決めた翌九月場所では、モンゴル力士、朝青龍(後に第68代横綱)から、初白星を挙げた事を評価され、8勝7敗という成績でありながら、自身初となる殊勲賞を受賞する。

翌11月場所においても8勝7敗と勝ち越しを決める。この記録は、稀勢の里自身が幕内に昇進以来初の年間全場所勝ち越しを達成したことになる。平成19年、一月場所では、惜しくも千秋楽で敗れ、7勝8敗と負け越し、4場所連続で勤めた小結の座から陥落する。

2ケタ勝利で勝越すも・・

稀勢の里の不調劇は、翌3月場所、5月場所において6勝9敗と3場所連続にまで及んだ。3場所連続の負け越しを経て、迎えた7月場所、稀勢の里は、前頭6枚目で土俵に上がる。千秋楽で大関昇進が確実であった関脇、琴光喜に勝利し、成績を11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利で勝ち越しを決めたものの、九月場所で小結に復帰を果たすも、6勝9敗と負け越す。

 

翌11月場所では、黒星が先行していたものの、最終的には4連勝を果たし、9勝6敗と勝ち越す。平成20年一月場所の二日目、2場所連続出場停止明けの朝青龍に快勝し、初の金星を獲得。併せて10勝5敗の成績を収め二度目の殊勲賞を受賞。三月場所で三場所ぶりに小結復帰を果たすも11日目までに7勝4敗であったものの自身よりも格下の力士に連敗し、14日目には勝ち越しを決めるものの、千秋楽で7勝7敗の関脇琴奨菊に敗れ、関脇昇進を逃す。

五月場所は初日に、朝青龍に勝利し、トータル10勝5敗と三役で初の二桁勝利をし、自身二度目の敢闘賞を手にする。両関脇が共に勝ち越したことにより、七月場所も小結に据え置きとなったが、七月場所は、6勝9敗と負け越す。

腸閉塞

九月場所では前頭2枚目に降格となり、腸閉塞と診断され、初日から4連敗を喫し、5日目に白鵬を破り、金星を獲得するも、12日目には負け越しが決まり、結果6勝9敗。11月場所では、3場所ぶりに11勝4敗と3場所ぶりに勝ち越し、小結へ復帰。平成21年一月場所、初日に朝青龍に敗れ、7勝7敗で迎えた千秋楽、高見盛との一番で勝利し、自身にとって初の関脇昇進を果たすも、三月場所で負け越し、わずか一場所で関脇に戻る事となった。

五月場所は好調なスタートを切り、千秋楽まで優勝争いに加わり、優勝の可能性もあったものの、日馬富士が琴欧州を破った事で、その可能性が消えてしまったが、この場所は自身最高の13勝2敗の好成績で、三度目の敢闘賞を受賞者となる。

朝青龍に土をつけ全勝ストップ!

七月場所は、成績こそ9勝6敗であったが、中日に、それまで全勝であった朝青龍に土をつける等、1横綱、魁皇、琴光喜、千代大海の3大関を破る快挙を遂げた。九月場所では、千秋楽に把瑠都に敗れ、7勝8敗と負け越し、11月場所で再び小結となり、小結在位が歴代10位タイの10場所となったが、23歳3カ月で10場所の到達は、武双山の27歳6カ月を大きく上回り、史上最年少記録となり、2017年1月30日現在も稀勢の里のこの記録を破る力士はいない。

この年の11月場所は6勝9敗であった。平成22年一月場所では、前頭3枚目として土俵に上がり、序盤こそ5連勝と好調だったが、その後に5連敗。結果、9勝6敗で終える。小結に復帰した三月場所では、9勝6敗と勝ち越しこそするものの上位陣との対戦では、四名の外国人力士、白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都に敗れる。

関脇として土俵に上がった五月場所でも三月場所で敗れた白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都に再び敗れ、8勝7敗で負け越す。七月場所は中日までは好調で、6勝2敗の好成績だったが、これまで苦手としていた力士に加え、阿覧、豊真将の二力士にも完敗し、更に千秋楽で鶴竜にまさかの土俵際で逆転負けをし、7勝8敗と負け越し、九月場所12場所目の小結となる。

九月場所では、苦手力士の一人、把瑠都にこそ勝つも結果7勝8敗と負け越す。11月場所では、この時、白鵬を二日目に破り、白鵬の63連勝の記録をストップさせたのと同時に自身3つ目の金星を手にする。

再び殊勲賞! 23連勝記録!

千秋楽終了時には、10勝5敗の成績で、殊勲賞を手にする。平成23年一月場所、11日目に23連勝中という記録を持つ、白鵬との一番で押し出しで、白鵬を破る。千秋楽の結果、平成22年の11月場所と同じく、10勝5敗の成績で終え、二場所連続で殊勲賞を受賞。また、この時、稀勢の里自身の記録も乗り換え、関脇で二桁勝利を手にする。

 

しかし、この場所では、8勝7敗と勝ち越したものの、不戦勝である、琴欧洲戦を除く上位の外国人力士には全敗する。七月場所では、終盤に五連勝し、千秋楽で14戦全勝優勝を決めていた日馬富士に全勝優勝を阻止し、10勝5敗の成績で自身三度目の三役での二桁勝利を手にするも、東の関脇力士が稀勢の里よりも勝ち星を挙げたため、九月場所での番付も西関脇のままとなった。

師匠が他界

西関脇として土俵に上がった九月場所、初日から好調な滑り出しで8連勝し、幕内初の中日勝ち越しを決め、12日目には白鵬を破り、結果12勝3敗で終えるも、白鵬を破った事が評価され、殊勲賞した。大関挑戦となった運命の11月場所直前、入門当時からの師匠、鳴戸親方が急死する。

技能賞!

そんな中、初日から4連勝をしていた稀勢の里だが、5日目に平幕力士に敗れるも、14日目に10勝目をあげており、この時点で大関昇進の目安とされる直前3場所33勝まで残り1勝となっていたが、最近6場所中5場所で2桁勝利をし、横綱白鵬に3勝3敗と互角であることに加え、相撲内容が評価され、千秋楽を待たずに臨時理事会の場で、稀勢の里の事実上の大関昇進が決定した。千秋楽では、新大関である琴欧洲に敗れはしたものの10勝5敗で終え、相撲内容が評価され技能賞を手にする。

平成23年、11月30日の日本相撲協会理事会にて、昇進が決まり、新入幕から所要42場所で大関となった。大関昇進は、史上5位のスロー記録であった。小結在位は、12場所と大関昇進力士としては、これまでの記録保持者、魁皇、武双山を抜き、過去最多。平成24年1月場所は、稀勢の里にとって大関昇進を果たし、初場所となったが、初日から3連勝をするも、4日目に初黒星。

優勝争いに!

9日目に豊真将に寄り切りで勝った事で勝ち越しを決め、翌日の10日目に琴奨菊を破るも、11日目の白鵬との一番、12日目の把瑠都に連敗し、優勝争いから脱落こそするも千秋楽」で琴欧洲に勝ち、この場所11勝4敗で終える。3月場所は、初日から連敗し、5日目にも敗れ、2勝3敗となり、結果9勝6敗で終えはしたものの、9勝した中には、鶴竜、白鵬、把瑠都などに勝利した物も含まれている。5月場所では、5日目に敗れたものの、11日目まで10勝1敗の単独トップの座にいたが、12日目や13日目の白鵬と一番で連敗するも平幕力士二人と共に11勝3敗で優勝争いトップであった。

 

しかし、千秋楽で苦手とされる把瑠都に敗れ、11勝4敗となり、惜しくも優勝決定戦の出場を逃す。七月場所は、4日目、7日目が響き、11日目の日馬富士との一番で敗れ、3敗となり、この時点で優勝争いから外れ、14日目の白鵬、千秋楽の琴欧洲に連日敗れる形になり、10勝5敗で終える。

九月場所は、白鵬、日馬富士と並び、連勝を続け、大関昇進後初の中日勝ち越しを決めるも、9日目、11日目に黒星が付いたことで優勝争いから、またも外れ、13日目からの横綱や大関戦に全てに敗れ、結果10勝5敗。11月場所は途中休場はあったにしろ、3場所連続の10勝5敗で終える。

ついに綱とりへ!

平成25年は、稀勢の里に力士人生で初となる、綱とり挑戦の年となった。一月場所では、序盤に苦手とする、把瑠都等に連敗するも、そこから12日目まで8連勝し、10勝2敗としたが、翌日から3連敗。このため4場所連続の10勝5敗となる。三月場所では、中日まで4勝4敗で、そこから6勝1敗にまでし、千秋楽終了時には、自己記録の4連続の10勝5敗の成績から5連続10勝5敗の成績へと記録を更新させた。

5月場所では、初日から初の13連勝を達成するも、14日目共に全勝であった白鵬、千秋楽に、琴奨菊に連敗、念願の幕内初優勝とはならなかった。七月場所前、北の湖理事長が、「13勝以上の優勝なら横綱昇進も」と公言するも、3日目、5日目、7日目と3敗。この時点で、綱とりが消滅してしまったものの、8日目から7連勝をし、14日目には、白鵬の連勝記録43でストップさせる。

この時、北の湖理事長は、「今場所12勝挙げれば来場所綱とりに繋がる」と明言するも、千秋楽で再び琴奨菊に敗れ、11勝4敗となり、綱とりが白紙となってしまった。九月場所、11勝4敗、11月場所、13勝2敗。11月場所後、北の湖理事長は、13勝した事、両横綱に土をつけた事を評価した上で、平成26年1月場所が綱とり場所になることを明言する。

惜しくも13勝以上を逃す

平成26年、2度目の綱取りの年であったが、1月場所は稀勢の里自身、過去に例のない波乱な場所となり、中日で3敗となり、場所前に北の湖理事長が公言していた「13勝以上の優勝」の達成が困難となり、9日目に4敗目となり、綱取りを来場所に繋ぐことさえ不可能になってしまった。稀勢の里の身に起きた不幸は、これだけに留まらず12日目、琴欧洲との一番で場所前に負傷していた右足親指を悪化させ、13日目白鵬戦で6敗となる。この事で連続二けた勝利も10場所で記録がストップする。

怪我に悩まされ

右足親指の怪我が約3週間の安静を命じられる迄に酷くなっており、自身の通算連続出場記録が953回で途切れる。また、同時に7勝8敗と負け越しが決定する。三月場所は、稀勢の里自身初の大関角番で土俵に上がる。10日目に勝ち越した事で、角番から脱出するも、11日目からの横綱、大関といった力士陣に3連敗し、千秋楽にも敗れ、この場所9勝6敗で終える。五月場所では、これまでを払拭するかのように、4日目の1敗と12日目の白鵬との1敗同士の一番で一方的に寄り切られ、二敗となってしまう。

 

13勝2敗好成績を残すも、結びの一番で白鵬が日馬富士に勝ち、優勝を逃す。七月場所は、全勝レベルのハイレベルな闘いをし、優勝なら綱とりもと期待され、3度目の綱とりに挑戦するも、2日目の敗北、中日の若手関脇力士に敗れた事で、昇進が完全消滅する。結果、3度目の綱とりも失敗する形となり、9勝6敗の一桁勝利となる。

再び優勝争いへ!

九月場所は、勝ち越しこそ決めるものの2場所連続の9勝6敗。11月場所、9日目に勝ち越しを決めるも10日目から千秋楽まで黒星、白星を繰り返し、11勝4敗。平成27年一月場所、13日目に10勝2敗で白鵬との一番。取り直しにはなるも、結果敗れ、白鵬に史上単独1位の33回目の優勝を許してしまい、千秋楽ではまたも、日馬富士に敗北。結果11勝4敗。三月場所、11日目に勝ち越しを決め、千秋楽に琴奨菊に勝ち、その結果、9勝6敗。五月場所、11日目まで二敗を守り、1敗の白鵬を追う形で優勝争いに加わる。

12日目に敗れはするが、同日、白鵬も敗れた事で優勝争いから外れる事はなかった。13日目に日馬富士に敗れ、優勝争いから外れる事となるも、14日目には、5場所ぶりに白鵬を破る。千秋楽では琴奨菊に勝ち、11勝4敗。七月場所は、10勝5敗、九月場所、11勝4敗、11月場所、10勝5敗とし、二桁勝利をし、終える。

連勝記録ストップ

平成28年一月場所、14日目白鵬との一番でようやく勝ち越し9勝6敗となり、二桁勝利の継続が出来なかったものの、三月場所では初日から10連勝。11日目に1敗の白鵬、12日目の日馬富士に二日連続で敗れる。以降は全勝で終え、13勝2敗の成績を残す。この場所終了時、八角理事長が「相当いい雰囲気が出れば」と話す。五月場所は、4度目の綱とり場所で初日から連勝し、琴奨菊との幕内史上最多60回目の一番で勝利すると10連勝。その後12日目まで快進撃を続けるも、13日目に白鵬との直接対決で、敗れ連勝記録が止まる。

その翌日も敗れ、白鵬に千秋楽前に37回目の優勝を決められてしまうも千秋楽では、日馬富士に勝ち、2場所連続で13勝とし、綱とりを次の七月場所に繋いだ。この場所、14勝であれば、優勝せずとも横綱昇進の可能性があったが、結果として、13勝であった事から、またも横綱昇進は夢と化してしまった。七月場所は、五回目となる綱とり場所であったが、場所前、一部スポーツ紙で、休場の可能性が報道されるも出場し、初日から四連勝し、5日目の栃煌山に黒星、6日目は物言い、協議の結果、判定が覆り勝利。

その後、鶴竜、琴奨菊が相次いで休場し、9日目には、ライバルである白鵬、日馬富士が敗れ、二敗となる。この時点で、稀勢の里は、一敗であった。しかし、翌10日目に二敗目となる。二敗同士の日馬富士と13日目に直接対決をするも、三敗目。14日目には、白鵬を逆転で破り、優勝への望みを千秋楽に残した。

5度目の綱とり!

千秋楽では、12勝目を挙げるも、日馬富士が白鵬に勝利したことで優勝決定戦とはならず、優勝を逃した上に5度目の綱とりに失敗した形とはなるが、12勝という好成績だった事を評価され、九月場所でも綱とり場所である事を明言される。九月場所、六度目の綱とり場所となるも、11日目に優勝争いから脱落し、6度目の綱とりも失敗に終わってしまう。10勝5敗と勝ち越すも、豪栄道が全勝で初優勝をした事で、現役大関で優勝経験がない力士は、稀勢の里一人となってしまう。

11月場所は年間最多勝をかけ挑む。初日から連勝を果たすも3日目で敗れ、早くも黒星がついてしまうも6日目迄、再び白星を重ねていたが、7日目の一番で、2敗目。その上、年間最多勝でも、1勝差である日馬富士がこの日の取り組みで勝ち、並ばれてしまうも、この場所で綱取りを狙う豪栄道を倒し、3敗とし、白鵬に逆転で勝つと、2敗を維持し、優勝争いを闘う一力士となる。

最多賞!

快進撃は止まらず、ここまで全勝の鶴竜を破り、その翌日の取り組みでは、この場所最大のライバルである、日馬富士と60回目の対戦をし、年間最多勝争いでリードする。13日目、先場所で敗れた平幕力士に再び敗れ、痛恨の3敗目となる。この事で、日馬富士が勝利し、再び年間最多勝に並ばれる。翌日に勝利し、年間勝利数が自己最多の68勝に並ぶも、一敗の鶴竜が勝利し、優勝こそ逃したものの、同日日馬富士が白鵬に敗れた為、史上初の優勝無しでの年間最多勝を獲得する。

日本出身力士の最多勝は98年の三代目若乃花以来の快挙で、幕内で1度も優勝がなくが獲得した力士は稀勢の里が初めてとなる。平成29年一月場所、7度目の綱とりに挑む。場所前に、稽古では琴奨菊に負け越した上に、右足に違和感とも報道され、場所前から綱とりを心配する声が囁かれていた。

ついに単独トップへ!

しかし、場所に入ると、心配する声を他所に、初日から連勝を続け、7日目の時点で全勝は白鵬と稀勢の里のみで、苦手力士の一人日馬富士の休場、鶴竜が三敗、その他の上位陣は白鵬を除き全員が二敗以上となった事で、白鵬と一騎打ちとなる。8日目には、逆転で競り勝つと八連勝で中日に勝ち越しを決める。同日、全勝で競り合っていた白鵬が敗れた事で8日目にして、全勝で単独トップとなる。

横綱へ昇進!

 

14日目には相次ぐ上位陣の休場により、平幕力士の一番に勝利すると、稀勢の里は、13勝目を挙げ、自身初の優勝同点以上が決定する。同時に、この日、白鵬が三敗となる。その結果、稀勢の里が悲願の初優勝が決まる。この優勝決定後、稀勢の里は横綱昇進となった。

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