市川右團次さんは歌舞伎役者としてだけではなく、ドラマ出演や舞台と幅広い活躍をされています。
そんな市川右團次さんの人気を支えているのが、現在の嫁明子さんのようです。
嫁明子さんはとても美人で、できた嫁だといわれています。
明子さんとはどんな嫁なのでしょうか。
また、市川右團次さんは3度結婚していますが、歴代の妻たちもまた美人ばかりだったそうです。
どんな美人妻たちだったのでしょうか。また、どうして離婚してしまったのでしょうか。
そして、市川右團次さんは市川右近から3代目市川右團次を襲名しています。
この市川右團次襲名には市川海老蔵さんか深く関係しているそうです。
市川家の家系図を見ながら、市川右團次さんと市川海老蔵さんとの関係についても詳しくお話をしたいと思います。
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市川右團次の嫁明子が美人でデキた妻!
市川右團次さんは3回結婚しています。
3回目の結婚は2006年12月で市川右團次さんが43歳のときでした。
3回目の結婚相手が現在の嫁明子さんになります。
明子さんは市川右團次さんより9歳年下です。
2人が知り合った馴れ初めは、よくわかりませんでした。
これまで市川右團次さんが結婚した相手は芸能界に近い職業の方でした。
しかし、嫁の明子さんの経歴はちがうようですね。
結婚前の嫁の明子さんは一般人で音楽関係の会社で事務をしていたそうです。
しかし、一般人とはいえ、嫁の明子さんは雑誌のモデルをつとめたこともあるそうです。
画像でもわかりますが、和服がよく似合う美人ですね。歌舞伎の後援会関係者の紹介とかだったのでしょうか。
市川右團次さんと嫁の明子さんは3年間にわたり交際をしていたそうです。
その期間は、3代目市川猿之助さんが脳梗塞で倒れ、市川右團次さんが必死で一門を取りまとめていた時期でした。
そんな大変な時期の市川右團次さんを支え続けてきたのが嫁の明子さんだったそうです。
明子さんは市川右團次さんだけではなく、弟子たちの世話までもされていたそうです。
そんなしっかりとした嫁の明子さんと市川右團次さんは結婚を決めたようですね。
2010年には市川右團次さんと明子さんの間には息子のタケル君が誕生しています。
市川右團次さんは歴代妻との結婚生活では、子供はいませんでした。
嫁の明子さんとの子供が市川右團次さんとってはじめての子供になりました。
市川右團次さんのブログは人気で常に上位に上がっています。
市川右團次さんのブログの写真は嫁の明子さんが撮影していることが多いようです。
嫁の明子さんは控え目な方のようで、ブログに登場することはほとんどありません。
やさしい目線で市川右團次さんやタケル君を撮影している様子にファンからも好感度が高いようです。
また、市川右團次さんの夕食の様子がたびたびブログにアップされています。
料理の品数も多く、バランスの取れた食事のようです。
明子さんは料理もとても上手なようですね。
歌舞伎役者は体が資本です。きっと市川右團次さんと体調もしっかりと管理されているのでしょう。
そんなできた嫁の明子さんに、市川右團次さんが贈るプレゼントはいつも現金だそうです。
市川右團次さんがバラエティ番組で語ったところによると、クリスマスが20万円、誕生日が30万円だそうです。
多いのか少ないのかは人によって違いますが、現金のプレゼントには驚きましたね。
しかし、下手に趣味の合わないプレゼントをもらうよりはいいかもしれませんね。
市川右團次さんの歴代嫁、妻が美人!
現在の嫁も歴代妻もとても美人ばかりなことがわかりました。
市川右團次さんの1回目結婚は28歳のときでした。
相手はモデルをしていた人で名前も公表されていませんでした。
この結婚は1年ももたずにスピード離婚をしています。
離婚の理由はよくわかっていません。
しかし、市川右團次さんが後にバラエティ番組で語っていたことによると、若い頃はほぼ毎日当時流行っていたディスコに夜な夜な繰り出して踊っていたそうです。
ハワイで行われていたディスコ大会で優勝したこともあったそうなのです。
市川右團次さんは若くてまだ遊び足りなかったのでしょうか。
そして、歴代嫁2回目の結婚は市川右團次さんが36歳のときです。
歴代嫁2度目の結婚相手はレースクイーンやCAの仕事をしていた歴代嫁の天羽亨子さんという方でした。
しかし、この結婚も3年で離婚することになりました。
離婚の理由は結婚後、天羽亨子さんがサルサダンスに夢中になったことだそうです。
市川右團次さんは、「家の中に2人の演技者がいた」と語っており、当時は「サルサ離婚」といわれて話題になりました。
ちなみに歴代嫁の天羽亨子さんは市川右團次さんと離婚をしてまでサルサダンスを極めていったくらいです。
現在はサルサダンスの日本代表となるほどの実力で活躍されています。
しかし、内助の功を求められる歌舞伎役者の嫁には向かなかったのかもしれません。
市川右團さんの家系図や海老蔵さんとの関係を詳しく!
市川右團次さんの血縁の家系図から説明します。
市川右團次さんはもともとは歌舞伎の家系の出身ではありません。
門外から歌舞伎の世界入りました。
しかし、市川右團次さんの父親は大阪にある日本舞踊飛鳥流家元の飛鳥峯王(あすかみねお)さんです。
母親が2代目家元の飛鳥珠尾生(あすかたまお)さんです。
そして、妹が3代目飛鳥左近(あすかさこん)さんです。
市川右團次さんは、家系図上も歌舞伎役者の家系ではありませんが、立派な舞踊家の家系の出身でした。
市川右團次さんの両親は、わずか11歳の市川右團次さんを親元から離して、市川猿之助さんに託しました。
いくら芸事を極めるためとはいえ、親としてそうできることではありません。
両親も本当に立派な方だったのでしょう。
市川右團次さんは1975年に3代目市川猿之助さんに弟子入りしています。
市川右團次さんは「おもだか屋」の部屋子第1号となり、市川右近の名前を名乗りました。
部屋子とは同じ楽屋を使う子役のことで、子役の中から将来的に素質がありそうな子供が選ばれることが多いそうです。
師匠の市川猿之助さんも市川右團次さんには並みならぬ期待があったものと思われます。
市川猿之助さんは歌舞伎の家系や家系図にはこだわりませんでした。
市川右團次さんに歌舞伎の技術をすべて教えてきたそうです。
また、市川右團次さんも一門のリーダーとして「おもだか屋」を盛り立ててきました。
2017年に市川右團次さんは3代目市川右團次を襲名しました。
市川右團次の名前は上方歌舞伎では大きな名跡で、実に81年ぶりの復活となりました。
そして、屋号も「高島屋」に変わりました。さらに息子のタケル君は、これまで市川右團次さんが名乗っていた市川右近という名前を襲名しました。
市川右團次さんはもともと歌舞伎役者の家系ではなかったために、通常でしたら市川右團次の名前を襲名することはむずかしい事でした。
また、さらに市川右近という自身の名前を自分の息子に名跡として襲名させて継がせることも今まで前例のないことでした。
この襲名には市川宗家の市川海老蔵さんの力添えが大きかったようですね。
8年ほどかけて、市川右團次の名前を襲名することを準備していたそうです。
市川海老蔵さんは市川右團次を襲名できるよう理解が得られるように、師匠の市川猿之助さんをはじめ、「おもだかや」の方々へ働きかけをしていたそうです。
市川右團次さんは市川海老蔵さんのブログにもたびたび登場しています。
市川海老蔵さんとはお互いの子供たちの年齢も近く、プライベートでも仲がよいようですね。
市川右團次さんは、今や歌舞伎界にはなくてならない、人気歌舞伎役者になっています。
これからも市川右團次さんの活躍が楽しみですね。
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