青山学院大学の原監督。
多くの人々は、箱根駅伝で平成27年、平成28年、平成29年と三年連続優勝。
で青山学院大学の総合優勝に導いた指導者だと認識している。
原監督は、ご存知の通り、青山学院大学の陸上競技部長距離ブロック監督。
ここでは、監督がどのにようにして三年連続で青山学院大学総合優勝を成し遂げたのか。
原監督の指導法とはどのようなものなのでしょうか?
気になる年収や家族のこと、子供はいるのかのかなど、生い立ちやプロフィールにも触れながら考えてみたいと思います。
目次
活発な少年時代! 4番でピッチャー!
原晋監督は、自身も高校時代に全国高校駅伝に選手として出場し、その際、準優勝した経験を持つ。そんな原晋監督は、1967年3月8日生まれの49歳。
瀬戸内の古い港町である、広島県三原市糸崎町松浜東の出身。
幼少期は、海を遊び場とし、活発な少年だったという。あだ名は、「すーちゃん」。
小学生の頃は、ソフトボールの4番でピッチャーと相撲は主将を務め、スポーツ万能であった。
小学校4年生の時、漁港で遊んでいたところ、不慮な事故に遭い、足を複雑骨折し、長期入院を余儀なくされる。
この怪我のリハビリの一環として、町内のジョギングを始めたと言う。
陸上競技の原点!?
このエピソードを知る幼なじみの記憶によると、原晋監督は、雨の日もジョギングを休むことなく、毎日休むことなく、走っていたという。
このエピソードからも、原晋監督は、自分の決めたことは、最後までやり通し、意志の強い少年であった事がわかる。
この経験が原晋監督の陸上競技の原点であるとも言えそうだ。
中学に入学すると、原晋監督は、陸上部に所属し、長距離を本格的に始動させる。
中学1年生で出場した、マラソン大会では、上級生を抑え、校内で1位となる。
高校は、駅伝の強豪校として知られる、世羅高校に進学した。
3年生の時に、1984年主将として、全国高校駅伝大会で2位に貢献する。大学は、世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し、3年生の時、日本インカレ5000メートルで3位に入賞する。
1989年、中国電力に入社し、同社の陸上部創設に加わる。1993年、自身も主将として参加し、全日本実業団駅伝の初出場を果たす。
1995年、入社5年目に、故障が原因で、27歳で選手生活に終止符を打つ。
サラリーマン生活
その後10年間、中国電力にて、サラリーマン生活を送る。
同期が本社勤務をする中、原監督が配属されたのは、山口県徳山市(現在周南市)の営業所。
この営業所で、蓄熱式空調システム、通称「エコアイス」を社内で一番売上げ、評価を上げると、新規事業を立ち上げる。
この間にも中国電力陸上競技部は、元陸上競技選手であった坂口泰監督と有力な選手の加入で実業団トップチームへの階段を上り始める。
いざ、青山学院大学へ!
箱根駅伝への出場経験がない上、出場大学のOBでもなかった。
36歳の時、母校である世羅高校の関係者からの紹介で、2004年に青山学院大学陸上競技部の監督に就任する。
いざ、監督に就任すると、青山学院大学が駅伝で箱根経験のない事を理由に、選手をスカウトしようにも断られてしまい、選手の獲得には苦労をする。
そんな中、自身の出身校、世羅高校と出身大学の系列校である、中京大学付属中京高校から、継続的な好選手が入部してくる。
その際「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言!
しかし、就任3年目の2006年に、青山学院大学が予選会において、16位と惨敗する。
大学の関係者や幹部より、「話が違う」と、責められ、青山学院大学長距離部門も廃部寸前に追い込まれる。
2008年、第84回箱根駅伝では、学連選抜の監督として、チームを総合4位に導く。
箱根駅伝出場!
その翌年の箱根駅伝第85回記念大会では、青山学院大学陸上競技部を史上最大のブランクである33年ぶりに、箱根駅伝に見事出場させる。
結果こそ22位と振るわなかったものの、翌第86回大会では、8位入賞させた。
同校41年ぶりのシード権を手にする。
2012年出雲駅伝では、「三大大学駅伝」で悲願の初優勝。2014年には、全日本大学駅伝で3位入賞を果たす。
箱根駅伝 総合優勝!
2015年第91回の箱根駅伝では、同校を初の総合優勝に導き、同年2015年の出雲駅伝では、三年ぶりに2度目の優勝を手にする。
2016年第92回箱根駅伝において、2年連続優勝に導くと、ここから快進撃を遂げた。
2016年の出雲駅伝で2年連続の3回目の優勝、2016年全日本大学駅伝の優勝。
2017年の第93回箱根駅伝で3年連続優勝を果たし、「大学駅伝三冠」を達成する。
奥様であり寮母!選手たちの母!?
原監督は、1995年に美穂さんとご結婚されましたが、お二人の間にお子さんはいないとのこと。
夫婦仲はとても良く、奥様の美穂さんは、寮母さんのように陸上部の選手たちの食事の管理をしていると言います。
この事から考えると、原監督夫婦にとっての子供は、陸上部の部員たちが子供なのかもしれない。
美穂さんが選手たちの体作りを食事面から支援して、原監督が練習面を見るというまさに夫婦二人三脚での選手、チーム作りである。
美穂さんが東京マラソンに出走した際、ゴール前から陸上部の選手たちが美穂さんに声をかけながら併走した。
ゴールを皆で喜ぶ姿は感動以外のなにものでもなかった。
指導法とは!
原監督の指導法はどうであろう。何か特別な練習方法を取り入れているのか。
通常、体育会系の指導は、往々にして、指導者が黒といえば、仮に自身が白と思っていても黒だと言わざるを得ない。
それを白だと言い続けることがタブーとされるイメージが根強く残っているのが、体育会系指導のイメージである。
しかし、そんなイメージを変えたのが原監督の指導法であった。
原監督は、自身のサラリーマンでの営業経験やノウハウを利用し、怒ることで選手に言うことを聞かせるのではなく、選手自らが考え行動できるようにするよう導く。
言われた事を、たださせるいわゆる指示待ち人間を作るのではなく、選手を信頼し、任せ、各々の自らの力で切り開くことを指導した。
これは、今日の教育でも大いに騒がれている、自ら考え、自ら行動できる人間を自ら実践させた本当の意味での自主性を思う存分利用した本来の教育方法である。
この方法が、どの教育現場にももっともっと浸透すれば、いわゆる指示待ち人間はいなくなるし、世の中ももっと良くなると思われる。
この指導法が浸透することを大いに期待したい。
年収は? 講演料は!
年収はどうか?原監督の年収は明らかにはなっていないものの、相場から、大体が予測できないか。ここで、一般的な講演料金について話すと、ちょっとした著名人で、講演料金は、20万から30万。有名人や売れっ子の講演料金はというと、なんと50万から200万とのこと。
ちなみに「スピーカーズ」というサイトから、原監督の講演依頼が出来るとのことですが、そのサイトのある月の講演人気ランキングでは、1位に原監督は入っている。
3位には、あのさかなクンが入っていた。一部情報によると、さかなクンの1回の講演料が150万円とのこと。
原監督ほどの有名人の講演料は想像出来かねるが、一部噂では、講演数が多く余り練習を見る時間が少なくなってきているとの噂もあるくらいだ。
いずれにしても、駅伝の快挙から監督の公演数は相当数になっていると考えると、年収も庶民には考えが及ばない金額であると言えそうだ。
打倒!青山学院大学! これからの駅伝にさらに期待!
原監督のような指導者はあまりいない。日本古来の教育方法なのか、指導者の言う事が絶対的。
それに逆らうものは、おかしい、生意気だと思われるこのご時世(最近は大分変わってきてはいるが)。
教育現場にも往々にしているそのような教師。
そして長い物には巻かれろという日本の嫌な風習。
原監督のような指導者、上司が増え、教育の根本である、本当の意味での自主性が認めれる社会になって欲しいと願わずにはいられない。
そして、原監督指導を受けた人間が、生きにくいと感じるのではなく、むしろ当たり前なのだと思える社会に一日でも早くなるよう願っている。
青山学院大学陸上部のさらなる快挙、そしてそれを阻止すべく他大学の猛進も楽しみで仕方がない。
つい、先日も、「打倒、青山学院大学!」という見出しで、東海大学の期待の選手の事がニュースになっていたばかりだ。
正月の箱根駅伝を盛り上げ、1年の初めにふさわしい晴れ晴れとした気持ちにさせてくれている駅伝選手や関係者の方々に、いち視聴者として感謝したい。
そして、今後もさらにすばらしい駅伝を継続して頂けることを願っている。