2018年5月16日、歌手でタレントの西城秀樹さんが急性心不全のため亡くなりました。
昭和を代表する大スターがこの世を去ったことで日本中に衝撃が走りました。
西城秀樹さんの代表曲は、「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」などがありますね。
西城秀樹さんは長年、病気を患っていてリハビリを受けるなど一所懸命に回復のために努力してきました。
その中での、突然の訃報なので芸能界からも悲しみの声が多くあがっています。
西城秀樹さんは神奈川県横浜市にある病院に入院していて、最期はそのまま病院で亡くなったようです。
その病院とはどこの病院化を調べてみました。
どうやら、横浜市青葉区にある昭和大学藤が丘病院ではないかと思われます。
この辺りについてお話したいと思います。
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目次
西城秀樹さん 病院は横浜市のどこ?
西城秀樹(本名、木本龍雄、きもとたつお)さんが5月16日午後11時53分に急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなりました。
西城秀樹さんは広島市出身で亡くなった時には63歳でした。
1972年3月に「恋する季節」で歌手デビューを果たすと途端にトップアイドルに駆け上がりました。
ちょうど同じころに大人気だったアイドルの郷ひろみさん、野口五郎さんとともにアイドルの「新御三家」と呼ばれるようになり、たちまちトップアイドルとなりました。
たくさんのヒット曲を世に送り出しました。なかでも、西城秀樹さんの代表曲ともいえる「YOUNGMAN」は、「Y.M.C.A」という歌声に合わせた振り付けが大流行、一世を風靡しました。
いまでもカラオケの盛り上がる曲で選択されていて、幅広い世代から愛されています。
いまはありませんが、当時、超人気の歌番組だった「ザ・ベストテン」では2週連続「9999点」の満点という記録を作ったのでした。
この満点記録は、番組史上でも西城さんだけでしたので、相当スゴイ記録であることがわかります。
2003年、韓国で行われたディナーショーのあとで脳梗塞を発症してから15年ほどになりますが、ずっと病気と闘ってきたのです。
脳梗塞の後遺症として言葉の発音がうまくできなくなりましたが、ずっとリハビリを続けてやっとの思いで再びステージに上がることができました。
脳梗塞を発症してから8年後に病気が再発して、右半身が麻痺するという後遺症が残ったのです。
2018年4月25日に意識を失ったまま病院に入院したまま、自宅に帰ることなく5月16日息を引き取りました。
西城秀樹さんが息を引き取った病院は神奈川県横浜市にある病院だと報道されました。
その病院とはどこの病院なのでしょうか。
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西城秀樹さんの最期 病院は横浜市青葉区の昭和大学藤が丘病院⁉
4月25日に西城秀樹さんが横浜市青葉区の自宅で倒れました。西城秀樹さんは普段と同じように週に5日間通っているリハビリに通い、午後2時から3時間のリハビリを行っていたそうです。
担当の医師は、いつもと同じ様子で笑顔でリハビリから帰っていったといっていました。
その後、自宅に戻り家族と夕食を取っている時に突然倒れて救急車で病院に運ばれたそうです。
その時、119番の担当者から奥さんの美樹さんに、「奥様が代わりに心臓マッサージをするように。
救急隊員が駆けつけるまで頑張ってと言われた」というメッセージがあったといいます。
テレビ番組の取材に対して奥さんの美紀さんは「心臓マッサージをやったんですが、その時のことは無我夢中で今はもう覚えていない」とコメントしていました。
一緒にいた西城秀樹さんの息子は、「あの時のことがずっと忘れないと思う」とコメントしているそうです。
その後、搬送された横浜市内の病院で蘇生したが、意識は戻らず5月16日午後11時53分、最期は急性心不全のため病院で息を引き取ったそうです。
報道によると、西城秀樹さんが入院していたのは、神奈川県横浜市内にある病院とされていますが、具体的な病院名は公表していません。
病院はどこだったのでしょうか。
西城秀樹さんの自宅や生活圏内から考えると昭和大学藤が丘病院ではないでしょうか。
昭和大学藤が丘病院は、東急田園都市線の沿線のなかにある病院のなかでも大きな病院ではないでしょうか。
特に、西城秀樹さんが住んでいる横浜市青葉区周辺では一番大きい病院ではないでしょうか。
他にも横浜市立大学附属病院、済生会横浜市東部病院、横浜総合病院などがありますが、昭和大学藤が丘病院に入院していたと思われます。
西城秀樹さんが亡くなってから、テレビ局の中継車が昭和大学藤が丘病院に止まっていたとの情報もありますので、可能性は高いのではないかと思われます。
西城秀樹さんは、以前おなじ田園都市線の沿線にある鷺沼周辺、住所でいうと神奈川県川崎市に住んでたのですが、のちに神奈川県横浜市青葉区に引っ越しをしています。
鷺沼周辺にはたまプラーザ、あざみ野など高級住宅街がありその中の一角に西城秀樹さんのバリ風の豪邸があったといわれています。
引っ越した先の横浜市青葉区もまた高級住宅がとして有名な地域です。
駅でいうと青葉台駅や藤が丘駅などです。
その藤が丘駅から徒歩3分のところに西城秀樹さんが入院したと思われる、昭和大学藤が丘病院があります。
西城秀樹さんが引っ越したのには、通院もさることながら、子供たちの学校の頃が理由にあるのではないでしょうか。
西城秀樹さんの子供たちは森村学園に通っているといわれています。
森村学園は青葉台や藤が丘から数駅という近さにある長津田駅周辺にあります。
西城秀樹さん リハビリの病院はどこ? 横浜市の病院なの?
子供たちの学校への通学には非常に便利な場所ですよね。
西城秀樹さんが、週5日間通ってリハビリをしていた病院は横浜市青葉区にある昭和大学藤が丘病院ではなく、東京都台東区にある、「JRワークアウト」ではないかといわれています。
ここは、脊髄損専門のリハビリトレーニングをしていて、脊髄損傷、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血など半身麻痺などで後遺症がある人向けにリハビリをしている施設のようです。
そのリハビリの方法が独特で、高い場所から専用の器具を吊るして、空中トレーニングをするそうなのです。
空中で自分の体を支えるのはとてもつらくハードなことなので、トレーニング自体もどても厳しいもののようです。
西城秀樹さんは、この厳しいトレーニングを週に5日間も通っていたのですね。
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