坂口杏里さんは、お騒がせ騒動ばかりが話題なっています。
大女優の坂口良子さんの娘であることは知られていますね。
2世タレントデビューをしています。父親は誰なのでしょうか。
また兄がいるそうですが、ほかにも兄弟がいるのか気になりますね。
坂口杏里さんといえば、転落人生といわれています。
今やセクシー女優やあやしげな接客業が有名になってしまいました。
生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
生い立ちから見えてくる、意外な学歴について詳しくお話をしたいと思います。
坂口杏里さんの父親や兄!兄弟は?
坂口杏里さんは、2人父親がいます。母親の坂口良子さんは、2013年に亡くなりました。
若い頃は、清純派の女優として、アイドルのように人気がありました。
そんな坂口良子さんが結婚したのは、1986年時はバブル時代の頃でした。
相手は不動産会社社長の田山恒彦さんでした。
不動産王とも呼ばれ、羽振りはよかったようです。
しかし、相手は49歳で、19歳も年上、しかも3度目の結婚でした。
清純派女優が結婚する相手としては、周囲からは危ぶむ声もあったそうです。
1991年に坂口杏里さんが誕生しています。
しかし、バブルが崩壊し、父親の会社は倒産しました。
そのときの借金は40億ともいわれています。しかし、この借金は会社としての借金でした。
父親個人に対しても借金はあったようです。
坂口良子さんが所有していたマンションが担保になっていました。
連帯保証人にもなっていたそうです。
ひどいことには、坂口良子さんに借金を押し付けて、父親は逃げてしまったといわれています。
1994年に両親は離婚をしています。
坂口杏里さんはまだ3歳でした。
借金は、坂口良子さんが返してきたといわれています。
ずいぶんと仕事をしてきたようです。
やがて、坂口良子さんは、プロゴルファーの尾崎健夫さんと交際するようになりました。
実際には事実婚だったようです。
尾崎健夫さんが2人目の父親となりました。
坂口良子さんは、借金のことを気にして籍はいれなかったそうです。
10年目にやっと入籍をしています。
坂口杏里さんも同居し、尾崎健夫さんのことをパピーと呼び、仲は良かったそうです。
しかし、坂口良子さんの病気がわかり、闘病生活に入ってから、2人目の父親との関係は変わってきたようです。
それは、ガンで余命がないことは、娘には隠していたことでした。
事実を知って、坂口杏里さんは、大変怒り、荒れたといいます。
しかし、時間が経つにつれ、尾崎健夫さんの愛情や気使いも理解できたようです。
ふたりは和解できました。
尾崎健夫さんは、坂口杏里さんがセクシー女優に転向し、ビデオ出演したことを大変怒り、悲しんだといいます。
そして、なんとかビデオの販売を中止できないものかと動いたといいます。
実の父親ではなくても、心配してくれた人はいたのです。
坂口杏里さんは、2歳年上の兄がいます。
ネット上では、兄は坂口直彦さんという名前で、慶応大学医学部卒業の医師という情報が多く上がっています。
しかし、これはちがうのではないかと思われます。
坂口杏里さんは、2019年8月に元交際相手のホストの自宅に無断で侵入したとして逮捕されました。
騒動より注目されたのが、公表された坂口杏里さんの本名でした。
本名は、野沢瑞恵(のざわみずえ)さんでした。
父親たちの名字の田山でも、尾崎でもなかったのです。
野沢は、坂口良子さんの旧姓だったのでしょうか。
ということは、兄の名字も坂口ではない可能性が高いです。
兄が医師という経歴もどこから出てきたのかよくわからないことになりました。
坂口杏里さんの生い立ちや意外な学歴について詳しく!
坂口杏里さんの生い立ちは、兄と母親の女手1つで育てられました。
そうなると、離婚後の生活ぶりが心配です。
養育費ももらっていなかったそうです。
坂口良子さんは、ずいぶんと頑張って働いてきたといわれています。
そのためか、生い立ちでは少なからず、お金に困った環境ではなかったようです。
幼稚園は、松濤幼稚園に通っていました。
松濤幼稚園は現在すでにありません。2010年に廃園となっています。
渋谷区松濤といえば、現在でも都内屈指の高級住宅地です。
その場所にあった松濤幼稚園は、幼稚園御三家と呼ばれていました。
皇族方をはじめとして政財界の子供たちが通っていた由緒ある名門幼稚園でした。
入園基準も厳しいことで知られていました。
また、月謝も幼稚園の中でもトップクラスで軽く100万円超えでしたが、そんなことを心配する親はもちろんいません。
園児のお迎えにはずらりと高級車が並ぶ幼稚園でも有名でした。
卒園後は、慶応幼稚舎をはじめとする名門小学校の進学率も高いことで知られていました。
坂口杏里さんは、卒園後は、世田谷区にある私立の成城学園の初等学校に進学しています。
成城学園も芸能人をはじめとして、スポーツ選手や有名人の子供たちが多く通っているセレブな学校として知られていますね。
今でも芸能人お受験御三家として人気がありますね。
坂口杏里さんは、意外にも松濤幼稚園から成城学園とまさに、正統派お嬢さまのコースを歩んできたといえるでしょう。
母親の坂口良子さんは、シングルマザーながら、娘にはいい環境や学歴を与えたいと思っていたのではないでしょうか。
成城学園は幼稚園から大学まであります。
1度入学してしまえば、よほどのことがない限りエスカレーター式で大学まで学歴は心配ありません。
そのまま進めば、学歴も経歴も問題なかったはずなのです。
しかしながら、坂口杏里さんは、初等学校のころからあまり勉強は好きではなかったようです。
成績は良くはなかったようです。
それでも付属の中学にはそのまま進学はできました。
中学生になると、さらに成績はかんばしくなく、体育以外はオール1という具合だったようですね。
成績の件で坂口良子さんは、何度も学校に呼び出しをされていたそうです。
塾や、家庭教師と対策をしたものの、全く成果は上がらなかったようです。
付属高校へはそのまま進学することはできませんでした。
成城学園の内部進学の基準はそれほど厳しくはありません。
しかし、よほどのパターンで、毎年何人かは外部へ出ていく生徒はいるようです。
坂口杏里さんは、勉強ができないとうよりは、興味がなかったのかもしれませんね。
そして、入学した高校は、堀越高等学校のトレイトコースに入学しています。
越高等学校といえば、芸能人御用達で有名ですね。
多くの芸能人が卒業しています。
トレイトコースとは、以前は芸能コースというものでした。
芸能活動やプロ活動をしている生徒が、学業と両立しやすいプログラムになっています。
偏差値は、37と低めです。芸能人目当てに誰でも入れるかというとそんなことはありません。
芸能やプロ活動をしている事務所の証明書などの提出が必要になります。
坂口杏里さんも将来的に芸能界に入ることも考えて入学したのでしょうね。
なんと同級生には女優の福田沙紀さんと蓮佛美沙子さんがいたといわれています。
そして、坂口杏里さんも高校生の頃から、バラエティ番組に出演するようになりました。
2世タレントとして、結構活躍していたのです。ここまでは、よかったのです。
その後は、セクシー女優やキャバクラ嬢から、あやしげな接客業とどんどん仕事が変わってきています。
やはり、母親が亡くなったことが精神的にも大きかったのでしょうか。
父親や兄弟、生い立ちを調べてみると、破天荒な生活ぶりや精神状態の理由が少しわかるような気がしました。
どうか早く落ち着いた生活が送れるようになるといいですね。